【 自己探求への一歩、絆の構築 ~3/16のWSを振り返って~ 】②
まず「価値観ババ抜き」。
60枚の「価値観」を想起させる言葉が書かれたカードを、 ババ抜きの要領でゲームを進めて行く。「努力」「愛」「完璧」とイメージされやすい言葉から「スリル」「躍動」「宇宙」など、なかなか自分で発想しなさそうな言葉まである。
そして、手元の5枚のカードを自分の課題のテーマに対して揃えて行く。
今回はあえて「あなたの命あとが7日間だったら」というテーマを設定した上でのゲームだったが、基本は自分の課題に合わせてやることが多いと思われる。
私の体験で述べるが、60個の言葉を前提にゲームを進めて行くというのが「自己対話がやりやすい」ポイントの1つだと思う。そこが、価値観というもの考える時に、自分で一から言葉を紡ぎ出すというのは難しくはないだろうか?
また、出される言葉の幅も狭くなりがちだろう。なので、むしろ60個あるというのはとても語彙の数としても豊富だし、それが自分の思考の幅を大きく広げてくれることになる。
そうして、「こんな言葉自分では思いつかなかったが妙にしっくりくる。手放しなたくない。」という発見が起こるのだ。
さらに、ゲームを進めていると、さっきまでは完璧だと思っていた自分のカードの「価値観」が、新しい言葉を目にした時、もしくはさっきまで気にもとめなかったものが急に欲しくなる。その時の「心の動き」こそ真に「自己対話」なのだ。この感覚はなかなか無いものだと思った。
当日の参加者のにも同じような感想が見られたので、これは「価値観ババ抜き」の仕組みが起こさせるのであろう。
そしてもう一つ、このゲームは「肯定しかない自己対話」なのだ。
当日、価値観ババ抜きをやっているみんなはとにかく笑顔だ。ところどころで笑い声がでる。私がやった時も確かに「楽しい」という感じだった。
どうやら偶然でもなさそうだが、ではなぜそうなるのだろうかと不思議に思っていた。それが、前途の答えに導き出された時、腑に落ちた。
自分でカードを選び、捨てて行く。その行為はまさに自分で導き選んだ答え。そこには肯定しか残らない。
他人のカードを見て、それが欲しいと思ったりするだろう。しかしそれもやはり、「それが欲しい」と感じる自分を発見、そう認めならざらおえなくなるのである。そこには納得しかなく、肯定しかない。
連続する発見、自分を知ることは、ゲームという装いをすることでどこか客観的立場も取れやすい。
だから否定する必要はなく、だから楽しい。
続いて後半の「ケンカ屋」。
つづく